たいへんご無沙汰しておりました。
1月にブログデータが吹き飛び、
復旧させようと試みましたが、
無料サーバー利用のため、復旧できませんでした。
それから心が折れてしまい、
ブログから離れてしまっていました。
松任谷由美も言っています。
「すべてのことはメッセージ」と。
消える必然だったのでしょう。
気を取り直し、またチョクチョク更新していきます。
梅が咲き、桜が咲き、そして散り、
夏野菜準備の農繁期がやってまいりました。
畑の枠に生えている茅やスイバも成長してきます。
昨日のことです。
草刈をしていました。
ゴンッ! とイヤな感触が刈払機を通して伝わったと同時に、
何かがブワッっと飛び散り、
そこから勢いよく何かが飛び出してきました。
それはメスのキジでした。
メスのキジは、1メートルくらいのところに留まり、
羽をばたつかせ、ピクピクと痙攣しています。
やってしまったー
ゴメンよゴメンよ
何もできず呆然と立ち尽くしていました。
やがてメスのキジは動かなくなりました。
なんとも言えない落ち込みの中、
ふとキジがいた場所を見ると、
卵がありました。
普段、キジはオスメス関わらず、
人が近づくと逃げます。
ましては、エンジン音を響かせ近づいていったのだから、
気づかないワケがありません。
身を挺して、卵を守ろうとしていたのでしょう。
落ち込みます。
殺めてしまったのだからしょうがない。
食べるのが弔いだと思いましたが、
私は鳥をさばけない。
土に埋め、微生物たちに土へ還してもらうことにしました。
卵は持ち帰り食べることに。
犠牲と循環の境目を考えてみましたが、
犠牲は感情いかんで動くけど、
循環はいつでもそこにあるという結論でした。
しかし、自分が関わる大きい動物の死は、
感情が揺さぶられます。
がしかし、私も
卵や仔猫を狙うカラスと何ら変わりないということが、
改めてわかりました。